「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六 5-(4) 私の停滞のせいで、もうすでに古い話題としか受け止めてもらえないかもしれないんですが、しばらく前からネット上では話題になっていた ── 「アニリール・セルカン経歴詐称、業績捏造の追求 blog」(http://blog.goo.ne.jp/11jigen/e/51dea8f84d63def58016b9eba89a44c3) ── ことなんですが、とうとう朝日新聞がこういう記事を出しましたね。これは、ネットの力が朝日新聞を動かしたということですよね。引用します。
というわけで、アニリール・セルカンの経歴詐称問題 ── セルカン本人というより、彼の本を出している版元や彼を持ち上げていたメディア、またその読者など ── などについて職場の同僚と話していて、私が最先端=亀山郁夫問題 ── こちらは「経歴詐称」などというはっきりした、誰の目にも明らかな非を持ち出せない事例ではあるけれど、「彼の本を出している版元や彼を持ち上げていたメディア、またその読者など」などについてはセルカン問題と同様の現象がある ── について触れると、同僚 ── 彼は私の最先端=亀山郁夫批判を耳にたこができるほどきかされていますが、『カラマーゾフの兄弟』はおろか、ドストエフスキー作品のどれひとつとして読んだことがありません ── が、こういいました。 「あのひとたち(ネット上で最先端=亀山郁夫批判をしているひとたち)はやりかたが下手なんだと思うんですよ」 その「あのひとたち」のなかに ── まさかこの ── 私もいることを彼は知りません。 「どういうこと?」 「もっとわかりやすくやればいいんですよ。亀山の訳文を引いて、正しい訳と並べるんですよ。そうしたら、亀山のおかしいことは俺にもわかります」 「……」 これが、ふつうのひとたちの考えることなんですね。木下豊房らの「検証」サイト(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost125.htm)を読むつもりにもならない。「横板に雨垂れ」(http://yokoita.blog58.fc2.com/)も「こころなきみにも」(http://d.hatena.ne.jp/yumetiyo/)も知らない。最先端=亀山郁夫について知ろうとも思わない。 だから、最先端=亀山郁夫批判は難しいんですよ。 |