連絡船 ── 航行記(第一期・第二期)



(五)はじめに ──
    広告も誇らしげな「一〇〇万部突破!」を歓迎できるか?

 私は以前、雑誌「文藝」(二〇〇四年秋号 河出書房新社)にこう書きました。

 そもそも私がPOPを書きはじめたのは、ベストセラーを中心とした本の読まれかたへの反感もあってのことだった(にもかかわらず、自分の書いたPOPの関わった本がベストセラー入りしたというのは皮肉なものだが)。いったい、広告も誇らしげな「一〇〇万部突破!」を歓迎できるか? 一〇〇万人がいっせいに同じ本を読むなどというのは異常な・おかしな・ばかげたことではないだろうか。他にもっと読まれていいはずの、埋もれている本がたくさんある。また、誰にも自分に ── もしかすると自分ひとりだけに ── にぴったりくる本があるはずなのだ。「他の誰にもわかってもらえない、それどころか嫌な顔をされたりするような、そういうあなただけの疑問や考えというのは、もちろんあっていい」と私は『〈子ども〉のための哲学』(永井均)のPOPに書いているのだが、「自分だけの本」(それは自分だけの感動であって、周囲とお揃いの都合のいい涙なんかではない)というのがあっていいし、そういう本を持たないひとはいつまでも自分で本を選ぶことができないだろう。
 POPは、書店店頭で、いまの主流ではないべつの読書モデルを提出するにすぎない。発行から時間のたってしまった本、読者に背伸びを強いる本(背伸びなしの読書をつづけていても「自分だけの本」に出会うことはない)の負のイメージを軽減し、読書の選択肢を増やす、少なくとも実物を手に取って立ち読みしてもらうために書く。そのページを指定もする。真剣ささえ伝われば、POPの書き手によるコピーの秀逸さなど本当はどうでもいい。いちばん重要なのは、本の重さや厚みごと作品の文章にじかに触れてもらうことだ(そして、多くの書評で私が不思議に思うのは、本文からの引用がほとんどないことだ)。

 まず、いいますと、これが七〇〇字という制限があっての文章で、この経験があったので、先に書いたように、あるサイトの話(八〇〇〜八五〇字)にはじめは応じていたわけです。

 この「文藝」の企画(「POPの神様」)は、毎号、書店員に三冊の本を紹介させ(一冊につき七〇〇字)、その前に「POPと私」という文章をつける(先ほど引用したのが、私のそれに当たります)というものでした。これは書店員にこの雑誌の四ページをまるまる委ねるという、ある意味無謀な企画で、とても長つづきするはずもないと私には思われましたが、その通りで、二回で終了しました(二回目が私です)。で、私がこれを書くにあたって考えていたのは、私の後にはもう誰にも書けなくなるようなものを書こうということでした。その通りになる(実際にはなにかべつの理由があるんでしょう)とは思いませんでしたけれど。

 それで、やはりこれはいっておかなくてはならないことなんですが、先の文章のなかの「にもかかわらず、自分の書いたPOPの関わった本がベストセラー入りしたというのは皮肉なものだが」というのは、新潮文庫の『白い犬とワルツを』(テリー・ケイ 兼武進訳)のことで、これは一九九五年にハードカヴァーで出版され、一九九八年に文庫化されていたものが、三年後の二〇〇一年になって突如として全国で爆発的に売れはじめるという、奇妙な現象に見舞われた作品です。これのきっかけになったのが、ある「町の本屋さん」の「手書きPOP」によるもので、その書店ではこの文庫を三か月で一千冊以上売り、そのデータに注目した版元の新潮社が動いて全国展開につながったのだということでした。朝日新聞がまず小さくない記事にして、それからはテレビ、ラジオ、雑誌でも「奇跡」だの「伝説」だのという採りあげをしたんでした。『白い犬とワルツを』はその年には一〇〇万部を超え、二〇〇五年秋には一八〇万部をも超えることになりました。で、その大ヒットのそもそものきっかけである「町の本屋さん」で当のPOPを書いたのが私というわけです。

 その私が「いったい、広告も誇らしげな「一〇〇万部突破!」を歓迎できるか? 一〇〇万人がいっせいに同じ本を読むなどというのは異常な・おかしな・ばかげたことではないだろうか」というんです。
 これを私は『白い犬とワルツを』がああいうことになってから考えはじめたというのではなくて、以前からずっとそう考えていたからこそ、一般的には知られていなかったあの本を、自分の勤める店で、反ベストセラーとして採りあげた、ということなんですね。それが、結局いつのまにか、ふつうのベストセラーの側に取り込まれてしまった、というわけです。

 読者がそれぞれに自力で本を選ぶということができるなら、一〇〇万部単位のベストセラーの生まれるはずがないんです。逆にいえば、一〇〇万部単位のベストセラーがいまだに生まれているからには、読者それぞれに自力で本を選ぶ力なんかない・読者は自力で選ぶことを放棄している、ということになります。「みんなが読んでいる本を自分も読みたい」ということのばからしさを自覚しているひとがあまりにも少ない。
「それじゃ、どうしてあなたはひとに本を薦めるんですか?」と(ある取材のなかで)私にいってきたひとがいましたっけ。私は怒りをおぼえるというより(しかし、たしかに「この野郎」と思いました)、なんだかやりきれなくなりました。

 それで、思い出しましたが、しばらく前(二〇〇五年)に、ある折込紙から「お薦めの本」を紹介してほしいといわれて、私はすぐに回答したんですが、編集者がその本を購入しようとして数軒の書店を回る羽目になり、それほどまでにふつうの書店に置いていないもの・そういうマイナーなものでは困る、簡単にどこでも手に入る本にしてほしい、といってきたことがありました。私はすぐにその仕事を断わりました。ちなみに私の紹介した本は『旅のラゴス』(筒井康隆 新潮文庫)でした。

『旅のラゴス』── ほんの少しだけ引用しましょう。

 さあ。友よ。共に翔ぼう。
 馬は崖をとび出すなり前肢をやや交差させるように揃えて宙へ突き出した。わたしたちはそのままの速度で高みへと翔んだ。はるか行く手の高みにわれらを待ち受ける、雲。
(筒井康隆『旅のラゴス』 新潮文庫)

 この作品のよさには、たとえば、主人公のラゴスが自分自身に同情しない・自分の身を嘆くことがないということがあります。どんなときにも彼は前に進みつづけます。囚われの身であって、そのまま自分が潰えてしまうかもしれないときですら、そのことを嘆かず、立ち止まらず、前に進みつづけるんですね。そういう描きかたを作者はしている、その描きかたはとてもよい、と私は思うんです。彼が囚われたままでの七年間を、この作品全体のなかで、作者がどんなふうに描いたか ── たとえば、そういうことを私は素晴らしいと思うんです。私はついこの間初めて、『旅のラゴス』はむずかしくて読めなかった、というひとに会ってびっくりしました。これは私自身がひとに薦められて読んだ本で、たぶんそのときにも、すぐ読めちゃうから、とかいわれたと思います(そうして、実際にすぐ読めました)。しかし、『旅のラゴス』にももちろん「チューニング」は必要で、ただ、読んでいるひとにあまりその自覚が生まれないというにすぎないでしょう。
 ともあれ、私はわざわざそのように読者があまり「チューニング」を意識しないような本を「お薦めの本」として回答したわけです。しかし、出版社(その編集者)はそれをそのままには受けとらなかった。「ふつうの書店に置いていないもの・そういうマイナーなもの」とだけしか考えなかった。もちろん、その折込紙の読者層に合わない(そういう読者層がすぐに書店に足を運んで、しかも簡単に買うことのできる本を紹介したい)ということが第一にあるでしょうし、それはわかります(繰り返しますが、私だって、「チューニング」を意識しないで読める本を紹介したわけです。また、すでに絶版となっている本を紹介することはもちろん考えませんでした)。しかし、それならそれで、なぜ私(というか「書店員」ですね)に声をかけたのか? 私の考えるのはこうです。この編集者は、すでに売れているもの、新しいもの(市場に十分出回っているもの)を紹介したいがために、書店員という道具(口実)を用いようとしただけじゃないでしょうか。だから、その書店員が独自の信念に基づいて(ほんとうに自信をもって「よい」と思う本をこそ紹介したい、などというふうに、僭越にも傲慢にも)動いたりすると困るわけです。編集者は私とのやりとりのなかでおそらく、厄介なひとに声をかけてしまった、と思ったのじゃないでしょうか? このひとは、たとえば二〇〇一年の異常な売れ行き以前に私が『白い犬とワルツを』と回答しても、同じことをいってきたでしょうね。しかし、こういうひとの方が多数を占めているわけです。私の反応としては ── カート・ヴォネガットに倣いますが ──、「そういうものだ(
so it goes)」です。

 ちょっとヴォネガットを引用してみましょうか?

 たくさんの人びとが傷つき、あるいは死んだ。そういうものだ。
(カート・ヴォネガット『スローターハウス5』 伊藤典夫訳 早川文庫)

 ビリーがヴァーモントの病院でしだいに快方にむかっているころ、彼の妻は一酸化炭素中毒で事故死した。そういうものだ。
(同)

 演習が終りに近づいたころ、ビリーは臨時休暇をいいわたされた。ニューヨーク州イリアムの理髪師であったビリーの父親が、鹿狩りの最中、友人の撃った弾にあたって急死したのである。そういうものだ。
(同)

 彼らがしとめそこなったのは、タイガー戦車である。それは空気をくんくん嗅ぐようにして88ミリの鼻づらをまわし、大地にしるされた矢印を発見した。砲弾が発射された。ウェアリーを残して砲射班の全員が死んだ。そういうものだ。
(同)

 いちばん残酷な死刑は何だと思う、と彼はビリーにきいた。ビリーには想像もつかなかった。正しい答えは、つぎのようなものである。「砂漠の蟻塚の上に人間をあおむけにして縛りつけるんだ ── いいか? やつのキンタマとチンポコには蜂蜜をぬる。それから目蓋をきりとって太陽しか見られなくして放ったらかしておくのさ、死ぬまで」そういうものだ。
(同)

 ── というわけで、世のなかの「お薦めの本」の紹介欄というものがどんな(ばかげた)操作・思惑を経てのものであるか、いくらかはおわかりいただけましたか? その本の「よい」かどうか、なんてことは問題にされないんですね。なんといっても「みんな」が大切だということです。で、そんなにも「みんな」を大切にするのは、「みんな」という括りによって、「みんな」をばかにしているのだと私には思えるんですが。


 いやいや、私はここで、こんなことを書くつもりではなかったんです。しかし、「(にもかかわらず、自分の書いたPOPの関わった本がベストセラー入りしたというのは皮肉なものだが)」に注を加えていて、しかたなくこうなってしまいました。過去に自分があの『白い犬とワルツを』に関わっていたことをいわないのは公正ではないだろうと思ったからです。
 私がここで書こうとしていたのは、次の部分の方なんです。
「POPは、書店店頭で、いまの主流ではないべつの読書モデルを提出するにすぎない。発行から時間のたってしまった本、読者に背伸びを強いる本(背伸びなしの読書をつづけていても「自分だけの本」に出会うことはない)の負のイメージを軽減し、読書の選択肢を増やす、少なくとも実物を手に取って立ち読みしてもらうために書く。」
 このうちの「書店店頭で」と「少なくとも実物を手に取って立ち読みしてもらう」ということに関して、いまでは私はそう思っていないんですね。それを書こうとしたんです。ついでにいえば、いま私の勤める店には私の書いたPOPは一枚もありません。私が二〇〇四年に「書店店頭で」と「少なくとも実物を手に取って立ち読みしてもらう」と書いたのは、ネット書店を意識してのもの ── 牽制 ── でした。しかし、私がこうして個人でホームページをつくるからには、もはや「少なくとも実物を手に取って立ち読みしてもらう」ことを望めない(あるいは、端的に、もう私自身が望まない)ということなんです。現実に、もはや多くの書店では、「よい作品」ではあるけれども、しかし、売れない、というものを置くことができなくなっています。そこで、いまや私の希望をつなぐのは、現物を手に取ってもらうことのない、ネット上での紹介だけになってしまうんです。現役の書店員でありながら、私はこういわざるをえません。
(二〇〇六年四月一日)
(二〇〇七年三月二十七日 改稿)
(二〇〇八年二月 改稿)




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