「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一〇 3 ── そう怒らないで。もうちょっと「亀山郁夫的読書」についてきかせてほしいんですが。 何だ、まだいたんですか? 冷やかしはもうたくさんなんですよ。 いいですか、もう一度いいますよ。私の直面している問題は、まず、私のこの一連の文章が批判であるために、拒否反応を引き起こしやすい ── ただのゴシップとしてしか受け入れられない可能性がある ── ということ。次に、亀山郁夫訳の実際を認識しないひとたちには、私がいくらしゃべっても「こういうのは「気持ちはわかる」が、非生産的だ」としか受け取られないかもしれないということ。いまのふたつに絡めて、そもそも世のなかの評判に自分を合わせるばかりで、自分自身でものを判断するということのできないひとが大多数だということがありますね。また、ひとには自分の意見を撤回するのがなかなか難しいということも手伝います。それから、『カラマーゾフの兄弟』を読んだことのあるひとたちのなかでも、ただ読んだというのでなく、あるレヴェル以上で ── といっても、それが本当はそれがふつうのレヴェルなんですが ── 読んだというひとにだけしか私のいっていることが通じないということ。ああ、それと、東京外国語大学学長とただの読者とを肩書きでしか判断しないひともあるかもしれません。いくら何でも東京外国語大学学長がそんなでたらめなわけがない ── それについて何の肩書きもない一般人がどうしていちゃもんをつけるんだ ── という良識が事実を受け入れるのを拒むということですね。後は、翻訳者がどれだけ恐ろしいまでに稚拙な誤読をしていようと、目の前にある原典の一文一文をそのまま訳していって、最後の文にまでたどり着ければ、それで立派な翻訳だと考えているひとが多いのかもしれないということ。これは、作品というものが作者の「何を描くか」と「どのように描くか」とのせめぎあい・たたかいの軌跡だということを理解できないひとたちがどれだけ多いかということでもあります。私は、本来ならそんなひとたちなんかどうでもいいと思っているんですが、それでも「ブルータスよ、お前もか」というような例が散見されるのが意外だったんですよ。まあ、そんなひとたちもそもそも「ブルータス」じゃなかったのかもしれませんけれど。しかし、いや、どうして亀山訳の実際を知らないでいられるんだ? と思うわけです。知らないだけなんだろう? 読んでいないだけなんだろう? と。 ── でも、豊崎由美は読んでいますよね。読んで、「読みやすい」とあれほどまでにいうわけですよね? そうですね。彼女の『勝てる読書』の帯には「セコい大人に勝つために! 理不尽な状況に、くじけそうな自分に… 本の中にこそ勝てる言葉と思考がある」という文言があるんですが、いまのままでは彼女すら私にとっての「理不尽な状況」を助長していますよ。で、まったく現在四十六歳の私こそ、よっぽど「セコい大人に勝つ」ことを念願しているわけです。大人げなくも、ね。 ロシア文学の研究者たちから、マスメディアから、亀山訳の実際を知ろうともせず、拍手を送りつづけている。いや、実際を知って、なお拍手しているでしょう。 ── ええと、こういう情報もあります。白水社のホームページから。
何ですって? 野崎歓! ── 会場のジュンク堂書店新宿店のホームページによれば、
ああ、そうですか。「とびきりのガイブン目利キスト」ねえ。「ゴドキスト」じゃないの? 「魅惑の翻訳小説ワールド」って、「最先端の誤訳ワールド」のことですか? それじゃ、野崎歓は次回ゲストに亀山郁夫を指名するんじゃないですか? 次回=四月のあたりには亀山訳『罪と罰』も完結か、完結間近とかいうことで。まったくどこまでも宣伝だ。で、野崎も亀山も、自分たちへの批判を冗談めかしてしゃべって会場の笑いを取り、世のなかにはうるさいストーカーみたいなのがいるんですねえ、困りましたよ、なんていいながら「それでも負けない野崎先生はすごい!」、「それでも『罪と罰』に手をつけてしまう亀山先生はすごい! ぜひ『悪霊』にも手をつけてください」なんてことにして終わりですね。豊崎由美が「誤訳していいとも!」。それで満場の拍手。目に見えるようだ。 それでもロシア文学の研究者たちは何もいわない。それどころか、一緒になって拍手するわけです。 それじゃ、ちょっと引用しましょうか。
どうです? この湯浅医師は、戦中に中国で自分の関わった「生体解剖」のためにずっと中国に拘束されて、やっと帰ってきたひとなんですよ。あ、「生体解剖」というのがよくわからないというなら、これを「死体解剖」ということばと対照させてみてください。 べつの作品から引用しましょう。
この青木というのは、語り手の元上官で、戦中、中国で彼に「刺突」をやらせた人物なんですね。「刺突」というのは、実戦前の新兵に「肝試し」をさせるんです。中国人を縛りつけておいて、新兵たちに銃剣で刺させる。こうすれば、実戦でも肝が据わるだろうというわけです。 さらにべつの本から引用しますが、
そういうことです。で、『初めて人を殺す』に戻りますが、戦後何十年もたって、語り手はいまや老人となった青木と話したんですね。
このまま長い引用をつづけます。
それで、語り手は現在の青木を見ながら、先に引用したように、こう思います。
そうして、
どうですか? こういうことが、ロシア文学研究者たちの間にも起こっています。マスメディアにも起こっている。この「え、何を?」がどれほど恐ろしいことなのか、また、「え、何を?」ほどでないにしても、ある程度には自身の罪を自覚しているにもかかわらず、周囲を見回して「安全」と判断するや、もう問題をなかったことにしてしまう・しまえるひとたち。群れたがるひとたち、「誰の前にひれ伏すか」しか頭にないひとたち ……。それですよ、私が危惧しているのは。そのために私は亀山郁夫とその称揚者たちを絶対に許してはならないと考えているんです。
── ははあ。何やら話が大きくなってきましたが……。 大きくなんかなっていませんよ、そのまま、そのまんまです。これに関して「話が大きくなってきた」ということ自体が非常に危険なことなんです。あなたはまたしても高みの見物をしているんだ。
── しかしね、あなたはそうも偉そうにいえる人間ですかね? 私自身は「セコい大人」ですよ。恐ろしく弱い人間です。恐ろしく弱いまま四十六年も生きてきました。これでさえ私には長すぎるでしょう。やれやれ、私は去年、この「連絡船」を「今後二十五年間の仕事」ということにしたんですね。二十五年後、「生きていれば七十歳」ということでね。まったく私は俗情にまみれているので、何が「今後二十五年間の仕事」だ? ともいいうるでしょう。私にも無数の「え、何が?」がある。呆れ返るほどあるでしょう。しかし、私はことこのことに関しては、絶対に譲歩してはならないと自分にいいきかせているんです。これについて譲ってしまったら、もう私は終わりですね。 ── またしても平行線ですね。ともあれ、話をつづけましょうか。「亀山郁夫的読書」についてですが、あなたは亀山郁夫ともども世のなかの大半の読者を罵倒しているんじゃないですか? もちろん、その通りです。私は「世のなかの大半の読者」を、先の「え、何が?」のひとたちと同じに考えていますね。でも、このへんの事情に関してはもうこの「連絡船」でさんざんしゃべってきたことじゃないですか。亀山郁夫の訳文も、彼自身の「解題」での文章も、文章力のない者の文章ですよ。あれらを「読みやすい」などというひとのレヴェルの低さを私は罵倒するんです。 ── 偉そうにねえ。 だから、いっているでしょう。それを「偉そうに」などという愚劣な輩がはびこりすぎなんですよ。ね、ラキーチン。 ── けっ、いいたい放題だ。 いいたい放題ですよ、もちろん。でも、あなたにいいますが、これを「いいたい放題」などというのが、もうそれだけで駄目だっていうんです。私のやっていることと「いいたい放題」との区別のつかないひとにはけっしてアリョーシャの「あなたじゃない」の意味がわかりません。私はいいますが、アリョーシャになら、私のやっていることと「いいたい放題」との明確な差を理解することができるでしょう。 いいですか、あなたがちゃんとした読書をすることができるなら、私がここでいっていることは全然問題にもなりゃしないんだ。「そうですよねえ、そんな馬鹿な読みをする奴がいるんですよねえ」という共感で、そのまま終わりなんですよ。 ── なんて傲慢な奴なんだ! これはどうですか?
あのね、『カラマーゾフの兄弟』を、亀山郁夫のように稚拙にでたらめに歪曲したものについて、世間の趨勢に合わせて称揚する ──「文学」をそのように歪める ── なんてことは、実は「人間」に対する大きな冒涜なんですよ。文学者 ── たとえばロシア文学研究者 ── こそ「人間」に奉仕すべきなのに、いまや「人間」を貶めることを仕事にしているんです。文学者が自分の処世のために「人間」を侮辱している。文学者がこんな体たらくでは ── 私はいいますが ── 日本は近い将来、本当に戦争を始めることになるでしょうね。亀山郁夫のやっていることは、ある意味、「アウシュヴィッツはなかった」、「南京虐殺はなかった」に等しいと私は断言します。そんなものを絶対に許してはなりません。それは「歴史の偽造」(大西巨人)です。いいですか、これ、真面目にいっているんですよ。「文学」に携わる者が絶対に「人間」を売ってはなりません。 もうひとつ、XTC のアルバム『Nonsuch』の終曲から引用します。
この歌詞ですが、XTC の公式サイト(http://www.xtcidearecords.co.uk/)では、三行めが「The first eating the text」となっているんですね。でも、実際に曲を聴けば、どうしてもこれは「The fire eating the text」です。それで、そのように引用表記しました。 |