連絡船 ── 亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』がいかにひどいか



「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一〇


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 ── ちょっといいたいんですがね。いましがたあなたが引用したXTC ですが、あれにつづくのはこういう歌詞じゃないですか。

 I believe the printed word should be forgiven
 Doesn't matter what it said
(Andy Partridge (XTC) « Books Are Burning »)

 そうですが。

 ──「そうですが」じゃないでしょう? いまの部分をあなたはわざと隠蔽したんじゃありませんか?

 どういうことです? 何がいいたいんです?

 ── 何って、「Doesn’t matter what it said」なんでしょうが。たとえ亀山郁夫のものだって「the printed word should be forgiven」じゃないですかね?

 ああ、なるほど。そういうことか。またしてもあなたは線引きを間違えていると思いますが、答えましょう。
 私は『カラマーゾフの兄弟』が亀山郁夫によって焼かれている、つまり、冒涜されている、その冒涜を知っていながら、それを歓迎し、さらに助長するようなことをするひとたち、見て見ぬふりをするひとたち ── ということは彼らも『カラマーゾフの兄弟』を焼いているわけです ── のいることを考えていたんです。自分たちのしていることの意味がわかっているのか、ということです。そんなことでは、「People are next」だ、と。そのことだけ ── というか、「text」‐「next」と韻を踏んで、あそこで一区切りですしね ── を考えて、私は引用をあそこまでにしました。そこで私は亀山郁夫のものを「books」のうちに数えていませんでした。とはいえ、書物が焼かれるとき、すべての書物が焼かれるわけではありません。焼く側の者たちの書物は無事なんじゃないでしょうか。

 しかし、たしかに亀山郁夫のものであろうと、「the printed word should be forgiven」でしょう。あなたは「言論・出版の自由」の話をしたいんですか?
 それじゃ、私はこれを引用しましょう。

 フォリソンはフランスのリヨン大学の文学部教授でしたが、一九七〇年代の終わりころ、かれは自分で独自に資料を集めて、大学での講義を始め、いたるところで、アウシュヴィッツなどナチスの収容所において六百万人からのユダヤ人が抹殺されたというのは、全部シオニストのでっち上げにすぎないと言ってのけた。フランスでは大騒動になりまして、とうとうリヨン大学は、反ユダヤ主義者のこの教授を懲戒免職処分にした。解雇された本人は、これは不当な言論弾圧であり、表現の自由に対する抑圧であると主張した。五百万人の請願署名運動が支援者の協力を得て開始された。この署名運動の一翼を担ってもらいたいというので、アメリカのチョムスキーのところにも署名依頼がきたのです。
 チョムスキーは請願書を一読して短い文章を書き、友人を介してフォリソンのもとに送ったんです。この文章を自由に使ってくれてかまわない、と添え書きして。チョムスキーの文章は、懲戒免職になったまでのいきさつをまとめたフォリソン本人の著書の冒頭に、序文として使われた。言論の自由を守るための運動にでなく、フォリソンの個人的著書の序文として自分の文章が使われることをチョムスキーが知ったときには、もはや本は出来上がっていた。すぐにチョムスキーは序文として使うのをやめてくれるようにフォリソン側に申し入れましたが、あとの祭りでした。本は取次ぎ流通に乗って各地にばらまかれてしまった。
 こうして、チョムスキーもまた反ユダヤ主義者というレッテルを貼られました。チョムスキーは自身ユダヤ系であるにもかかわらず、こういうものを書いてフォリソンの反動を支持した、というのでアメリカにおけるユダヤ・ロビーからもイスラエル・ロビーからもふくろだたきに遭いました。
 ……(中略)……
 フォリソンの本に使われることになった短文を、どうしてチョムスキーは書いたのだろう。それを考えてみるためには、そもそもなぜ請願署名をすることにチョムスキーが許諾を与えたかを振り返ってみる必要があります。言論の自由という問題をめぐるチョムスキーの見解を知るに好適なのは、『チョムスキー、世界を語る』(トランスビュー)という本ですけれど、この本は、二名のフランス人ジャーナリストがチョムスキーに話を聞いてまとめた初めてのフランス語版の本なんです。このなかでフォリソン事件に関わることになったチョムスキーについての誤解を、インタヴュアーたちが取り上げている。かれらは次のようなチョムスキーの言い分を引き出しているのです。
 ── あのフォリソンの請願書では、主張の内容が問題だったのではない。主張を発表する権利が問題だったのだ。これはまったく古典的な問題です。表現の自由を守ろうという場合、自由を奪われた人の意見・信条の中身に踏み込んではならない。表現の自由を守ること、それだけが当面の問題なんです。
 チョムスキーはさらにこう言っています。
 ── 要するにわたしは、何人かの人たちが断言するように、フォリソンがたとい実際に反ユダヤ主義であり、ネオ・ナチの一員だとしても、表現の自由の問題はそのことによっていささかの影響を受けることはないと述べたんです。わたしが書いた短い文章は、まさにこの問題だけに関わるものでした。
 それからまたこういうこともチョムスキーは言っています。
 ── わたしは毎日だれかのために請願書に署名しているが、その人たちの意見・活動についてはまるっきりというか、ほとんどなにも知りません。しかし、これは人権を守ろうとする者にとっての日々の糧なのです。
(立野正裕『精神のたたかい』 スペース伽耶)

 どうですか? 私自身はチョムスキーの本をひとつも読んではいないんですけれどね。しかし、亀山郁夫の主張にも「発表する権利」があることは認めますよ。現実にいくつもの著作が発表されているわけです。でもね、そうやって発表されたものがそのまま何の批判も被らなくていいはずもないんです。批判はどんな場合にも必要なんです。「発表する権利」がある以上、発表されたものは批判されなくてはなりません。いいですか、この場合の批判というのは「駄目だ」というものだけじゃなく、「よい」・「素晴らしい」をも含みます。「発表する権利」というものは、常に鍛えられなくてはなりません。どんな主張も批判を受け、それに答える用意がなければ駄目です。そうやっていつでも論争が繰り広げられるような自由な環境こそが、実はいっそう「発表する権利」を力強く支えるはずなんですよ。そういう盛んな批判のなかへと出してかまわないといいうるものだけが発表されるようになればいいと私は考えます。だから、発表されるものは、常にあるレヴェル以上のものであるべきだと私は考えます。そうして、発表されたものを「よい」・「素晴らしい」と推すひとたちも、必ず批判にさらされなくてはなりません。その覚悟なしに安易に「よい」・「素晴らしい」などと口にすべきではないんです。無邪気でいてはいけません。無邪気なら罪がないだろうなどと考えてはいけません。
 亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』はとても発表できるレヴェルに達していません。あまりにも稚拙でいいかげんででたらめな ── どこに出しても恥ずかしい ── 代物です。本来なら、つまり、発表なんかとんでもないというレヴェルですから、批判の対象にもなりえないわけです。ところが、発表されてしまった。発表されてしまった以上、これは ── こんなものを発表してしまった出版社の行為を含めて ── 徹底的に批判されなければなりません。正しい評価を受けなくてはならないんです。金輪際これほどでたらめな翻訳が発表されないためにも、亀山訳は批判を受けねばなりません。以前にもいいましたが、私は亀山郁夫の個々の誤訳が正されればいいと考えているのではありません。彼の訳そのものがなくなればいいと考えています。「最先端」の亀山郁夫なんかに『カラマーゾフの兄弟』を訳すことがそもそも無理だからです。どうして『カラマーゾフの兄弟』をこれほどとんちんかんにしか読み取れないひとに翻訳なんかができるでしょう? 私は光文社と亀山郁夫とが亀山訳を絶版にし、すでに売れたものは回収もすることをも望みますが、それでも「言論・出版の自由」は尊重されねばなりません。それとともに批判も継続されねばなりません。

 ── ふうん。それじゃ、これはどうです? あなたはさっき大西巨人を引用しましたよね。

 その右翼でもない、左翼でもない、AでもないBでもないという言い方が、実は戦争やらファシズムやらを呼び招くんだと思うが。でも、一所懸命「不動のA」を追究して、そのことを言う人間がいなきゃいかんな。
(大西巨人『未完結の問い』 作品社)

 ええ。

 ── で、あなたのこれまたよく引用する保坂和志ですが ── あなたは『カンバセイション・ピース』から「わからないときにすぐにわかろうとしないで、わからないという場所に我慢して踏ん張って考えつづけなければいけないんだな、これが」という語り手のことばをいつも引いてますよね ── 、でも、同じ語り手が妻にこういわれるじゃないですか。

「だいたいそこで鳥の羽を振り回してるオジサンがいけないのよ。優柔不断で何があっても一つに決められなくて、ああでもないこうでもない、ああだとしたらこうでもある、ああでないとしたらこうであるかもしれないけれど、こうであるとしてもああであるとはかぎらない ── みたいなことをずうっと言ってるから、ゆかりまでそういうのが感染っちゃったのよ」
(保坂和志『カンバセイション・ピース』 新潮文庫)

 ええ、それが?

 ──「AでもないBでもない」=「ああでもないこうでもない、ああだとしたらこうでもある、ああでないとしたらこうであるかもしれないけれど、こうであるとしてもああであるとはかぎらない」じゃないんですか?「わからないときにすぐにわかろうとしない」=「AでもないBでもない」じゃないんですか? ほら、どうです? ん、何を笑ってるんですか? 

 いや、ああ、なるほどね、と思ったんですよ。

「わからないときにすぐにわかろうとしないで、わからないという場所に我慢して踏ん張って考えつづけなければいけないんだな、これが」と私は言った。
「我慢して踏ん張るって、内田さんいまいくつですか? 四十でしたっけ ── 」
「もうじき四十四」
「げえッ。四十四って、じゃあ内田さんはいったい何年踏ん張ってるんですかぁ。
 おれより内田さんの方がアタマいいんだから、おれより若いときから踏ん張ってたりしたら、もう二十年じゃないですか。
 おれ二十年も踏ん張っていたくないですよ。内田さんはあと何年踏ん張ってるんですか。そういうのって、やっぱりスタートの考え方が間違ってるって言うんじゃないですか? スタートに失敗してたら何十年踏ん張ったってダメですよ」
(同)

 そこでのね、「スタートの考え方が間違ってる」ということへの恐れの方が実は「AでもないBでもない」を導くんですよ。「スタートの考え方が間違ってる」というふうに考えるひとにはね、考えることができません。このひとは「考える」ということを完全に誤解しています。「考える」ということが、自分の身を投げ出し、汚れまみれ・傷だらけにになることだなんて思っていないんですね。自分があくまできれいなまま・無傷なまま、ある種の中立地帯に立って、スマートに「考える」ことができると思っているんです。「考える」ということがひたすら傍目に「徒労」・「優柔不断」・「不健全」にしか見えないということがわかっていないんです。だから、こういうひとはいつも、自分でもよくわかっていないまま、他人の差し出す安易な・ありがちな結論に飛びつくことになるんですよ。まったくの思考停止です。いいですか、「考える」ってことは賭けなんですよ。これは無傷じゃすみません。「考える」っていうのは「たたかう」ということですよ。たしかに「スタートの考え方が間違ってる」ということへの懸念は「考える」者にもあるでしょう。でも、それは彼にはどうにもならないことなんですよ。それでも彼はそのまま行かざるをえないんです。そのまま行かざるをえない、とにかく始めた以上、とことん進んで行かざるをえない。もう彼にはどうしようもないんですよ。懸念はつきまとうにしても、「スタートの考え方が間違ってる」なんてことは、もう彼にはどうでもいいんです。それが「考える」ってことです。とはいえ、その彼にはまったく当てがないわけじゃない。彼は「Aだ」と思っています。それでもなかなか「不動のA」に行き着くことができない。きっとこのはずだ、こうでないわけがない、いや、それは違う、それも違う、いやいや、それも違う、どうしてそうなんだ? ── この営みが「考える」ということです。
 というわけで、私はいいますが、『カンバセイション・ピース』での「ああでもないこうでもない、ああだとしたらこうでもある、ああでないとしたらこうであるかもしれないけれど、こうであるとしてもああであるとはかぎらない」が、一見あっちへふらふらこっちへふらふらというふうに思われるかもしれませんが、それこそが実は「一所懸命「不動のA」を追究」することであるはずです。それが「考える」ということです。
 ただね、あなたのためにいいますが、私も大西巨人の「でも、一所懸命「不動のA」を追究して、そのことを言う人間がいなきゃいかんな」を読んだときには、そのあまりの厳しさにうろたえて、何とか逃げ道はないものか、と思いましたっけ。「AでもないBでもない」=「ああでもないこうでもない、ああだとしたらこうでもある、ああでないとしたらこうであるかもしれないけれど、こうであるとしてもああであるとはかぎらない」というのも、そのときには考えてみましたっけ。
 でも、そうじゃありません。
 それにね、もう半年以上も亀山郁夫批判をつづけていると、私には大西巨人のいうことが痛切にわかるようにもなってきているんですよ。亀山郁夫のこの迷惑な仕事がなかったら、私がこうまで大西巨人のことばを理解できるということもなかったんじゃないですかね。同時にね、これは私にとっての『カンバセイション・ピース』理解の強化でもあるはずです。逆にいえば、お前はこれまで「ああでもないこうでもない、ああだとしたらこうでもある、ああでないとしたらこうであるかもしれないけれど、こうであるとしてもああであるとはかぎらない」をどう読んできたんだ? 何か自分に都合のよい卑劣な目的に転用しうるとでも思っていたのじゃないか? ということにもなりますが。

 補足をすれば、私がもう何度も自分には読解力があると繰り返しているのも、「スタートの考え方が間違ってる」とのたたかいであるはずです。自分には読解力がないと私が思ってしまえば、それは「スタートの考え方が間違ってる」へと投降することになるんです。私はどうしてもそれをしたくありません。いや、私にはそれができません。

 ── 亀山郁夫だってそう思っているんじゃないですか?

 また、それか。亀山郁夫はね、何にも考えちゃいないんです。くだらない思いつきをばらばらに並べていいかげんな辻褄を合わせているだけです。しかし、あなたがまだそんなことをいうなら、これを引用しておきましょう。

佐藤 「ドストエフスキーはこうも読めればこうも読める」と複数の読み方を提示する人はけっこういますが、「亀山ドストエフスキー論」の面白さは「自分はこの読み方を採用する」という、インテリ(知識人)としての「命がけの飛躍」をしているところ。「決断」と言ってもいい。この「決断」こそが「物語」をつくるという意味で、今の日本の社会と国家にいちばん欠けているところです。
亀山 仮説を極限まで検討していって、最後に「決断」した以上はここに賭けるというのは、勇気がいることですね。ただ、こうも読めるああも読めるという迷いは大事にしたいと思っています。面白いのは、同じ仮説でも、研究面での新しい未来というか新機軸をひらいてくれる仮説もあれば、ほんとうに枝葉末節の部分にこだわって、むだな時間を費やしている仮説も存在するわけです。もし、自分なりの直感で、新しい議論を呼びだせると確信できたときには、果敢に攻めることにしています。批判されてもいい。批判を恐れたら、学問に進歩は生まれないでしょう。
(亀山郁夫+佐藤優『ロシア 闇と魂の国家』 文春新書)

 ── 何だ! さっきまであなたのいっていたのと同じじゃないですか!

 全然違うんですけどね。
 しかし、何の知識もなしに、ただこの部分だけを読まされれば、亀山郁夫のいっていることも立派な主張に思えますよね。これが問題なんです。具体性を欠いた一般論めいたものというのは、いつでも何とでもいえるんですよ。どんなでたらめでも、もっともらしくいいつくろうことができちゃうんです。あらためて暗澹としましたよ。私もいまそんなふうにしゃべっているに違いありません。
 あのね、だから、こういった一般論というのには注意した方がいいですよ。一般論というのは本当に曲者です。この形だと、誰でも何についてでももっともらしく主張できてしまうんです。そうして、世のなかのひとたちは、その実質がどうであれ、もっともらしい一般論を好むんですね。いや、世のなかなんてそんなものです。でたらめでいくらでも踊ることができるんですね。まったく、自分で引用しておきながら、何だか自分が馬鹿らしくなってきましたよ。やれやれ、ごまかし・いいつくろい・もっともらしく見せる・体面を保つ・嘘のつき通し ── そんなのは、この私からして日常的にやっていることじゃないですか。不誠実 ── まったく私の日常じゃないですか。ちっぽけで、卑劣で、小ずるい私。仕事もきちんとこなせない私。生活力のない私。そんな私にも偉そうな一般論なんかはいくらでも口に出せるんですね。

 ── おやおや、急にどうしたんです?

 何だか突然自分の「スタートの考え方が間違ってる」ような気がしてきたんですよ。つまり、「資格」ということですね。私というこんなつまらない一個の人間に亀山郁夫を批判する「資格」なんかありゃしないだろう、ってことです。

 ── あれ、まあ。

「あれ、まあ」か。……「あれ、まあ」ねえ……。

 Et nihil humanum a me alienum puto(人間のものは何一つ無縁じゃないんだよ)
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 原卓也訳 新潮文庫)

 ……いやいや、その「資格」っていう考えかたを私はこれまでずっと拒んできたんでした。「資格」なんていいだしたら、誰にも発言権がないことになってしまいます。この「連絡船」でも私は、書き手・私と書店員・私との葛藤を扱いつづけてもきたんでした。以前にしゃべったことですが、

 こんなふうにしゃべる私が、では、誰からも突っこまれない・非の打ちどころのない人物で、書店での仕事も完璧にこなすし、生活ぶりも品行方正かというと、全然違います。たとえば、私は「どんなことにもベストを尽くす」なんていうことを、端から信じていません。なんでどんなことにもベストを尽さなくてはならないのか私にはわかりません。そうして私は、他の誰かにできることなら自分はできなくていい、と ── 特にこの二十年ほどは ── はっきり意識してふらふらとやってきました。その代わり、自分にできて、他の誰にもできないこと・誰もやろうとしないことをやるというつもりはあります。誰もが同じことをできなくちゃいけない、なんてことはありません。それぞれのひとにいろんなことでの力の差というのは歴然としてある。持ちつ持たれつでいいじゃないか、のんびり行こうよ、と思っているわけです。
 私は、私がここで企てていることを、私なんかよりずっと有効な形で実行しうる優秀なひとが世のなかに大勢いることを承知しています。しかし、おそらくそれらの優秀なひとはこんなことを企てないんですよ。そこが問題なんですね。だから、これをこんな愚鈍な形でしかできない私がやる、ということです。

 そうだ、思い出しましたが、昔、大学にいた頃の話 ── 二十数年前 ── ですが、「お前は卒業してどうするの?」とある先輩 ── 盛んに就職活動をしていたひとでした。内定もいったいいくつもらっていたのだったか ── に訊かれたんですね。「就職しますよ」って答えたんですが、「お前に何ができるの?」と返されたんですね。そのとき私はたしかに、自分には就職してこの世のなかで役立つようなことが何ひとつできないだろう、と暗い気持ちでそのことばを受け止めていたんです。ところが、次の瞬間、何か憤りにも似た感覚をともなって ── いまでも覚えていますが ── 、私はこう考えていたんでした。私にひと並みのことが何もできないというのはその通りだが、しかし、この世のなかの圧倒的多数のひとたちにできることができない私には、彼らの到底できないあるひとつのことだけはできる ──『カラマーゾフの兄弟を読むということだ。そう、まさにそのとき私の考えていたのが『カラマーゾフの兄弟』だったんですね。
 で、私は結局就職できたんですが、二年で辞めてしまいました。「アルジェリアのオランに行きたい」というのが辞職の理由で、オランというのはカミュの『ペスト』の舞台なんですね。だから、そこへ行きたいと思ったわけです。実際に行きましたけれどね。いま思えば、なんと身勝手な理由で辞めたのか、ということでもありますが、とにかくそうしたんです。その旅にも私は『カラマーゾフの兄弟』の文庫三巻(原卓也訳)を持って行きました。『トニオ・クレーガー/ヴェニスに死す』(野島正城訳)とともに。そうして、私はアルジェリア入国の前に、パリではジム・モリソン、プルースト、あるいはサルトルとボーヴォワールなどの墓を訪ね、後ではベートーヴェンやマーラーの墓をも訪ねましたっけ。その翌々年には『悪霊』(江川卓訳)を携えての旅で、トーマス・マンの墓をも。もちろん私はこれのことを考えてもいましたよ。

「俺はヨーロッパに行ってきたいんだ、アリョーシャ。ここから出かけるよ。しょせん行きつく先は墓場だってことはわかっているけど、しかし何よりもいちばん貴重な墓場だからな、そうなんだよ! そこには貴重な人たちが眠っているし、墓石の一つ一つが、過ぎ去った熱烈な人生だの、自分の偉業や、自己の真理や、自己の闘争や、自己の学問などへの情熱的な信念を伝えてくれるから、俺は、今からわかっているけど、地面に倒れ伏して、その墓石に接吻し、涙を流すことだろう。そのくせ一方では、それらすべてがもはやずっと以前から墓になってしまっていて、それ以上の何物でもないってことを、心から確信しているくせにさ。俺が泣くのは絶望からじゃなく、自分の流した涙によって幸福になるからにすぎないんだよ。自分の感動に酔うわけだ。春先の粘っこい若葉や、青い空を、俺は愛しているんだよ、そうなんだ! この場合、知性も論理もありゃしない。本心から、腹の底から愛しちまうんだな、若い自分の最初の自分の力を愛しちまうんだよ……こんな愚にもつかない話でも、何かしらわかるかい、アリョーシャ、わからないか?」ふいにイワンが笑いだした。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 原卓也訳 新潮文庫)

 まあ、そんな思い出話はともかく、やっと私は立ち直りましたけれど、私という人間がどんなに卑劣でちっぽけであろうが、私はどうしても亀山郁夫批判をつづけないわけにはいきません。これはしかたがないんです。私は『カラマーゾフの兄弟』のためにこれをつづけないわけにはいきません。亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』が公的な場に持ち込まれたので、その公的な場で私はそれを批判するんです。私の私的な事情は関係ありません。自分で呆れますけれどね。でも、本当にこの亀山批判までを譲ってしまったら、私にはもう何も残らないだろうという気がするんです。

「アリョーシャ、あなたは将来あたしの言いなりになってくださる? このことも前もって決めておく必要があるの」
「喜んで、リーズ、必ずそうしますよ、ただいちばん大切な問題は別ですけどね。いちばん大切な問題に関しては、もしあなたが同意なさらなくとも、僕は義務の命ずるとおりに行います」
(同)

 そうして、またどうやらこの「連絡船」の私の記述には、ようやく賛同してくれるひとたちが現われはじめてもいるんですね。心強いコメントをいくつかいだたいています。私がためらったり、迷ったりしている場合ではないんです。

 だが、客観的現実の帰趨は当面さもあらばあれ、事柄は私の個、私の主体、その存続か喪失かにかかわっている。……「私が向こうに転んでも、誰も私を責めはしないであろうに。」? いや、もしも私が向こうに転んだなら、何者かが(私自身が)私を責めるであろう。……しかもあるいは問題は、啻(ただ)に私の個、私の主体、その存続か喪失かにのみあるとも決められないのではないか。ある特殊な意味において、私はあの「戦闘間一般ノ心得」が言う「最後ノ一人」なのかもしれないのである。……いやいや、私は必ずしも「最後ノ一人」でもないらしい。橋本がいる。曾根田、室町がいる。村崎がいる。先刻その態度が私の予想を裏切ったとはいえ、冬木もいる。私がこんなふうにわずらわしくなったりいやになったりするのが、私の(橋本の泥臭い元気とか曾根田の能動的な無頓着(ノンシャラン)とかに遥かに及ばぬ)消極性なのであろう。……広大な客観的現実の様相はさもあらばあれ、「微塵モ積モリテ山ヲ成ス」こともいつの日かたしかにあり得るのではないか、── もしも圧倒的な否定的現実に抗して、あちらこちらのどこかの片隅で、それぞれに、一つの微塵、一つの個、一つの主体が、その自立と存続と(ひいては、あるいは果ては、おそらくそれ以上の何物かと)のための、傍目にもわが目にさえも無意味のような・無価値のような・徒労のような格闘を持続するに耐えつづけるならば。
(大西巨人『神聖喜劇』 光文社文庫)

(もしかするとまったくの勘違いかもしれませんが、まさにこの ──「先刻その態度が私の予想を裏切ったとはいえ」の ──「冬木」がいるかもしれません。ある文章を読んで私はそう思いましたが)

 とはいえ、こういう私の文章には ── こうまで延々とつづけていればなおさら ── 、私がいくら隠そうとしても露わになってしまう私というのが必ずあるんだろうと思うんです。発言する私自身がどういう人間であるかということがどうしても露呈してしまう。もうこれはしかたがありません。私がどんなふうに見えてしまおうが、とにかく、いうべきことはいわなくてはならないと私は思っているんです。後は、これを読むひとが判断すればいいだけのことです。で、やっぱりこれは「賭け」ですよね。私は無傷というわけにはいきません。

 同じことが亀山郁夫にもいえますね。たとえば、ですが、引用します。

 人間は大きな罪を経て、はじめてある世界に到達できるというゾシマ長老の考え方は、現代社会ではとうてい受け入れがたい、ほとんど不可能に近い信念ではないだろうか。とりわけ競争のはげしい現代社会では、人は、少しでも罪を犯したら終わりであり、命とりとなり、脱落を迫られる。
(亀山郁夫「解題」)

 それから、これも。

 アリョーシャの「あなたじゃない」という言葉は、イワンは法的な意味において裁かれることはない、だから、そう苦しまないでほしい、という意味にとらえることができるように思えます。
(亀山郁夫「新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む」 NHK出版)

 右のふたつの引用が同じ人間のことばだということに、私は恐ろしく興味をかきたてられるんですが、どうでしょう? まさに同一人物の発想です。もうこれが亀山郁夫の小ささ・せこさ・貧しさ・薄っぺらさですよ。両方ともまるっきり見当違いの『カラマーゾフの兄弟』読解ですが、それはともかく、どうやら亀山郁夫は彼のいう「罪」に何かしらの憧れのようなものがあり、できるなら法的な処罰をくらうことなしにその「罪」を犯してみたい・試してみたいのだ、というように私には思われるんですが、どうでしょうか? そうして、とりわけ注目したいのが、彼が「法」に触れることを何だか人一倍恐れているらしいということですね。これはドストエフスキーの悪用だと私は思うんですが。つまり、亀山郁夫はドストエフスキーの作品を、何か自分に都合のよい卑劣な目的に転用しうるとでも思っているのじゃないか? ということです。これが私の考える亀山郁夫像なんですけれど。

「国立大学法人東京外国語大学研究活動に関わる不正行為防止規定」(平成一九年三月二十七日 規則第四一号)(http://www.tufs.ac.jp/research/doc/rules.pdf)によれば、

第二条 この規程において「不正行為」とは、次の各号に掲げる行為をいう。
(一) 本学の役職員が行った研究活動に関わる申請、実施、報告又は審査(本学に所属していた役職員がその在職中に行ったものを含む。)における故意の捏造(データ、研究結果等を偽造すること、又はこれら偽造したものを記録したり報告又は論文等に利用したりすること。)、改ざん(職務上の資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、職務活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること。)、又は盗用(他の研究者のアイディア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又は用語を、当該研究者の了解もしくは適切な表示なく流用すること。)

 ということなんですが、たとえば、森井友人に指摘され、木下豊房が批判した、アリョーシャによるコーリャのことばのいい換え ── とても重要な ── を原典通りに訳さなかった亀山郁夫はこれに抵触しないんでしょうか?
 亀山郁夫の翻訳およびいくつかの著作・発言は「国立大学法人東京外国語大学研究活動に関わる不正行為防止規定」における「不正行為」に該当しないでいられるんですか?

 ところが、同規定の第三条・第四条はこうなっています。

第三条 学長は、不正行為防止計画を推進するため、役員会直属の組織として、「研究活動に関わる不正行為防止計画推進本部」(以下「推進本部」という。)を置く。
(本部長)
第四条 推進本部に本部長を置き、学長をもって充てる。

 ええと、この大学の学長は誰でしたっけ?

 ── あはははははは。

 というか、こんな「最先端」を学長に据えている大学というのはどうなんですか? そこの学生の方がちゃんと『カラマーゾフの兄弟』を読み取れるでしょうに。

 ここで、もう一度亀山郁夫自身のことばを引用しておきましょうよ。爆笑できますから。

 先ほどの「教養知」と最先端的研究という、この一つの実例というのを、自分に照らして提示したいと思うわけです。そこまで君はナルシストかとのそしりを恐れつつも、自分なりにひとつ言いたいことがあるんですね。私がドストエフスキー研究に入り込んだのは、この過去五、六年です。結局、ドストエフスキーの研究は、私の研究は今最先端だと自分なりに自負しているんですね、少なくとも日本においては。問題は、なぜそう自負できるか、という点にあります。私は、ロシア・アヴァンギャルド研究の後に八年間ほどスターリン文化研究に励みましたが、そのスターリン文化研究の構造をそのままドストエフスキー研究に持ち込んでみたわけです。そこでどういう発見があったかというと、例えば一〇代の後半、終わりから、大学時代から営々とドストエフスキー研究を積み重ねた人たちは、五〇代の後半になったら新鮮な想像力も何もすべて失っているんですね。ほとんどドストエフスキーのテクストになまで感動するということはない。テクストの細部から何か新しい真実を見出していくということがほとんどできなくなっていて、目新しい視点、発想はほとんどゼロなんです。
(学術研究推進部会「議事録」)

 いいですか、「私は、ロシア・アヴァンギャルド研究の後に八年間ほどスターリン文化研究に励みましたが、そのスターリン文化研究の構造をそのままドストエフスキー研究に持ち込んでみたわけです」というその結果が、たとえば、「ペレズヴォンがジューチカとはべつの犬で、イリューシャを納得させるためにジューチカそっくりに右目をつぶされ、左耳にはさみを入れられた犬だ」なんですよ。そうするとですね、逆に亀山郁夫の「八年間ほど励」んだという「スターリン文化研究」というのがもうてんからでたらめだったということになるんじゃありませんか? 私はそこでどんな「最先端」が繰り広げられていたか知りませんけれど、もう全然信用ならないでしょう? 亀山郁夫の「スターリン文化研究」というのは、まさか何とか賞なんて受賞していませんよね? いまそれを確認するためにウィキペディアの「亀山郁夫」の項をのぞいてみたんですが、よくわかりませんでした。でも、誰か「最先端」のひとがこの項から、以前にはあった「誤訳」云々の記述 ──「二〇〇七年七月に完結した新訳『カラマーゾフの兄弟』はベストセラーになったが、その後、国際ドストエフスキー学会副会長・木下豊房らより、余りに誤訳が多い等の批判が出され、週刊新潮〇八年五月二十二日号の記事になっている(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost125.htm)。」── を削除しているみたいですよ。亀山郁夫本人じゃないですよね? 別人だとしてもそのひとが「最先端」だということは間違いありませんが。

 ── ははあ、なるほど。

 何だかいろんなことが一順したような気がしますね。とうとう私は「戦争」を引き合いに出し、XTC の歌詞までを引用しましたけれど、まったく、半年前に亀山批判を始めたとき、私は半年後のいまもこれを継続しているだなんて夢にも思っていませんでした。しかも、ここまで来て、私はこの批判がようやく半ばまで来たかどうかだと思っているんです。そうしてまた、私にはいまになってようやくこの「連絡船」がどういうものであるか、わかってきてもいるんですね。亀山郁夫批判は、この「連絡船」にとって、ついでのように現われた事件などではなかったんですね。亀山郁夫批判はこの「連絡船」そのものです。ここには、当初から「連絡船」で私がやろうとしていたことのすべての条件が揃っています。亀山郁夫批判はこの「連絡船」にとっての必然でした。「作品」と、「作品」に奉仕する作者と、「作品」に奉仕する読者と、その三者を橋渡しすること ── それがこの「連絡船」の仕事です。それを妨げ、「作品」と、作者と、読者とを冒涜しているのが亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』なんですね。だから、私は亀山郁夫と、彼の仕事と、彼の仕事に感心したり、推奨したりするひとたちを批判しつづけざるをえないんです。

(二〇〇九年三月六日)


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