最先端=亀山郁夫の『これからどうする』 (この章は昨二〇一三年十一月十八日に書き上げていたものです)
2 さて、次。
何ですか、この「一種の三段論法だった」っていうのは? これ、まったくなくてもかまわない文ですよね? そうして、あえて生かす意味もまったくありませんよね? 同じ字数のべつの文で置き換えるとしたら、こうですか? 「うひひひひひひひひひ」。これ、右の文章のいろんなところに挿入したらいいと思います。やってみましょう。
最先端=亀山郁夫は、ここで自慢たらたらに「商売」の話をしているわけですね。しかし、これ、常識的に考えて、最先端=亀山郁夫が「日本とポルトガルの修好一五〇周年を祝う記念式典に招かれた」というのは、彼が東京外国語大学の学長だったからでしょう? そうして、ポルトガル大使にしてみれば、最先端=亀山郁夫がどんな馬鹿なスピーチをしようが、おだてあげ、自国の若者の留学事情をよいものにしようと考えているはずですよね。 さあ、それで、最先端=亀山郁夫がこの後どうつづけたか?
右の文章を読んで、意味がわかりましたか? 私にはわかりませんでした。まず「教養知」って何だ? 同じ文章のなかに出てくる「教養」と何が違うのか? しかし、この後の文章をも読んで、いくらかは理解したところでは、こういうことらしいです。たぶん、「教養知」というのは「教養」を構成する「素材(「教養」を得るために読むべき「作品」)」のようです。たとえば、『カラマーゾフの兄弟』という作品が「教養」を構成する素材(「作品」)のひとつだということなんでしょう。(しかし、後でも書きますが、実は私が最先端=亀山郁夫の発言で「教養知」ということばに触れたのはこれが初めてではなかったんですね)。
さて、この文章の頭からここまでを考えてみると、どうやら、こういうことのようです。 「あ、あんた、『カラマーゾフの兄弟』を読んだことあるのか? 俺もだよ。あれ、スゴいよな。あれのスゴさを、あんたも俺も知っているってことだ。そんな俺たちってスゴいよな。読んでない馬鹿とは違う人種ってことだ。俺たち特別。俺たちエリート」という「秘密結社めいた同志愛を育む独特の力が備わっている」ということのようです。もちろん、ここで最先端=亀山郁夫がいうのは、『カラマーゾフの兄弟』という「「数千頁におよぶ膨大な小説を読みあげたという自信と満足」にもとづいた同志愛であって、作品の内容を正しく理解したというのとはべつの次元の話なんですね。それでも、そんな馬鹿どうしのやりとりでの「現実的なビジネスを側面から援護射撃する実学的な側面」がクローズアップされるわけです。「現実的なビジネスを側面から援護射撃する実学的な側面」って、何ですかね? というか、ここで最先端=亀山郁夫のいっているのは「現実的なビジネス」に結びつかない文学研究というのが「実学」ではなくて「虚学」だということですね。「虚学」って何だ? 「実学」の対極にあるものとして最先端=亀山郁夫がいっているのはわかりますが、察するに「商売」にならない、金にならない学問ってことですかね。 さらに、
これはどういう意味なんでしょうか? 「テンポ感」って何だ? などと突っ込みを入れてもしかたありません。「グローバル化時代の凄まじいテンポ感のなか」では、『カラマーゾフの兄弟』の価値も「著しく」上下する、ってことでしょうか。今日は『カラマーゾフの兄弟』が「教養知」として持ち上げられたかと思うと、明日には急降下する、とか、そういうことをいっているんですかね? どうでしょう? そんなことが「火を見るよりも明らか」なんですか? ここ、最先端=亀山郁夫はもっと字数を使って説明したらよかったんじゃないですか? 「一種の三段論法」がどうたらいうことを自慢たらたらで書く余裕があるのならば? こちらにはさっぱり意味がわかりませんよ。
たぶん最先端=亀山郁夫にとっては、「教養が大切、教養の復権をといったお題目」を唱えている「一部の有識者」が「グローバル化時代の凄まじいテンポ感のなかで、その概念自体、著しい変容にさらされている」はずの「教養知」を、あたかも不変であるかのごとくに唱えるのがおかしいと思われるのでしょう。『カラマーゾフの兄弟』でいえば、この作品が現在「教養知」として認められるのは、「グローバル化時代の凄まじいテンポ感のなかで」の偶然であって、『カラマーゾフの兄弟』は普遍的な「教養知」ではありえない、といっているんでしょう。たまたま現在の日本で、いいかげんのでたらめだらけとはいえ、自分の訳した『カラマーゾフの兄弟』がヒットしただけであって、このヒットゆえに『カラマーゾフの兄弟』に、たまたまの「教養知」としての価値が生じたのであって、そうでなければ、『カラマーゾフの兄弟』についての研究とか翻訳なんてものには普遍的価値なんかありゃしない、というわけなんでしょう。それらは「虚学」だ、といいたいんでしょう。「教養が大切、教養の復権をといったお題目」を唱えている「一部の有識者」が「虚学」の学者たちだということでしょう。 いやあ、最先端=亀山郁夫はこの数年間、まったく変わっていませんね。一貫しています。これを思い出しましたよ。(そして、ここですでに「教養知」ということばが登場していました)。
最先端=亀山郁夫、懲りない男です。 |