(三)辻邦生『春の戴冠』 この四月より、辻邦生の『春の戴冠』が中央公論新社から四巻の文庫版で出版されます。初の文庫化です。この作品は、まず、一九七七年に新潮社から上下二冊(函入り・本にはパラフィン紙の巻かれている)の単行本で、その後、一九九三年に岩波書店の「辻邦生歴史小説集成」にて四巻本で、さらに一九九六年に新潮社から新装版一巻本で、そうして二〇〇五年に同じ新潮社の「辻邦生全集」にて二巻本で出てはいるんですけれども。おそらく、彼の長編小説で唯一文庫化されていなかった作品なんですね(いや、『フーシェ革命暦』も、でした)。かつて辻作品の文庫はとてもたくさんあったんですよ。『時の扉』── 高校生私はこれを非常な駄作だと思いました。駄作というものが確実に存在する、ということを認識した(これは、自分の信頼している作家にすらこういうことがありうると知った、ということが大きかったんですね)のは、このときが最初かもしれません ── まで文庫になっていたのにもかかわらず、です。作品の長さが問題だったんでしょうか。なにしろ、『背教者ユリアヌス』(中公文庫)よりも一千枚長い(三千枚)。 私は高校時代に最初の単行本を読んでいますが、いまその下巻の奥付に記した読了メモを見ると、一九七九年八月二十四日、一九八〇年四月十九日、同年七月二十六日と、計三回ですね。もしかすると、それ以後にも読んでいるのかもしれません。私が一浪して入った大学を志望したのは、当時辻邦生がそこのフランス文学科の教授だったからなんですよ。ところが、私の入ったのはドイツ文学科で、彼の講義を受けることはありませんでしたし、ちょうどその頃から彼の作品を読まなくもなっていました(『夏の砦』だけは例外でしたけれど)。ちょっと面白いのは、辻というひとは、自身がドイツ文学をやりたいと思っていたにもかかわらず、渡辺一夫がフランス文学の教授だからという理由で(大江健三郎もそうですね)東大の仏文に行ったんですね。とはいえ、それと私とを並べてもしかたがありません。私は大学で全然勉強しませんでしたから。それはそれとして、私は彼を学内で何度となく見かけましたし、一度は便所で並んで用を足しましたっけ。 辻邦生という作家には、ある限界 ── これは自ら意識的に設けていたものかもしれません ── があって、彼はおそらく最後までそれ以上を進まなかった、と私は思っているんですね。以前にもいいましたが、彼の『西行花伝』や『フーシェ革命暦』をいまだ読んでいない私は、『夏の砦』を彼の最高作と考えています。その私が『夏の砦』に次いで多く読み返していた作品がこの『春の戴冠』なんです。この作品には、彼のいいところと悪いところとが、見事に共存していると私は思います。 辻邦生はかつて、遠藤周作との対談で、現代では読者が小説を信じなくなってきている(「読者が陰険になってきた」)という発言を受けて、こんなふうにいっています。(引用中の「古文書」は、たとえば遠藤作品では『沈黙』に、辻作品では『夏の砦』その他に、ある種の道具立て ── 作品にリアリティを与えるためのもの ── として用いられているものをさします)。
私は辻邦生のいう、この「子供っぽさ」を、この対談の文脈上ではもちろん認めることができます。しかし、それとはべつに、彼のその信念の実践が現実にはどうであったかというと、それが、あまりの「無邪気さ」・「幼稚さ」・「稚拙さ」であらわれていると感じることがあって、これがしばしば我慢ならないんですね。
『春の戴冠』に限らず、実にたびたび、辻邦生はこういうことを登場人物にいわせます。いわせたっていいんです。しかし、彼はそれを、単に物語の進行上の処理として、そうするんですね。しかも、かなり安易な形でするんですよ。「陰険な読者」である私には、これは作者の「手抜き」としか思えないんです(「手抜き」でないとすれば、そういう彼の無邪気さが ── 彼の美点でもあるでしょうが ── 欠点なんですね。辻邦生というひとは、北杜夫の『楡家の人びと』の解説(新潮文庫)で「魂の底から感動した」なんて書くわけです。たしかに『楡家の人びと』はものすごくいい作品です。日本最高の小説だろうとまで私は考えています。しかし、辻邦生のことばを読んで私は仰天し、恥ずかしくなりもしました)。もし、いまの引用部分をしっかり登場人物にいわせるために『夏の砦』一巻分の分量を費やさなくてはならないなら、費やすべきだろう、くらいに私は思うんです。 しかし、なぜ辻邦生が結局そうしなかったか、敢えていわば天真爛漫な表現を用いつづけたか、ということの理由も私には理解できるようにも思うんですね。理解できるけれども、しかし、駄目だと思う。簡単にいえば、彼は、「作品」を「作者」に従わせる書きかたをしました。つまり、「作者」が主で、「作品」が従であるということですね。私は、これはどうしても逆でなければならないと考えているんです。 ともあれ、そのうえで、私はこの『春の戴冠』を「よい作品」だといいましょう。彼は非常に善戦しました。 辻邦生を高校時代に集中して読むことなしに、私のその後の ── いまにつながる読書 ── がありえなかった、とも、私は明言します。特に、トーマス・マンの諸作品ですね。 『春の戴冠』の書き出しはこうです。
少し後には、
それで、トーマス・マンの『ファウストゥス博士』の冒頭を引用します。
そうして、少し後には、
どうでしょうか? むろん、辻邦生は『春の戴冠』において、トーマス・マンの『ファウストゥス博士』を意識しています(それどころか、マンには、ロレンツォ・デ・メディチとジロラモ・サヴォナローラとを主軸とした戯曲『フィオレンツァ』まであります。とはいえ、これを私はまだ読んでいません)。『春の戴冠』がフィレンツェの盛りと没落とを、ボッティチェルリに重ねた作品だとすれば、『ファウストゥス博士』はドイツという国家を ── ニーチェをモデルにしながら ── 音楽家レーヴァーキューンに重ねた作品でもあるわけです。 それにしても、小説作品において、その語り手が誰であるかということが非常に重要だということを、私は辻邦生作品の読書体験に照らしながら、その後理解していったんでした。つまり、まず、その語り手がたしかに存在していると、こちらに納得できるほどに、作者が彼を描いているか、ということですね。さらに、その語り手がこちらの信用に足る人物であるかどうか、ということ。物語と彼との位置関係。私はそれらをいまばらばらに並べてみましたが、実は、それはひとつのことなんですね。わからないひとは、いまの三つが重なる場所を考えてみてほしいんです。それで、私はそれらをおそろかにした自称「作品」の実にたくさん世のなかに出回っていることを知っています。そうしたばかげた代物を見抜くことを辻作品の読書から学んだと思います。しかし、それはまたしても辻作品があまりにもわかりやすい形で書かれていたために、早くも高校生私に理解ができたのじゃないかという気もするわけです。 因みに、辻作品のいくつかから引用してみます。
さて、『春の戴冠』に戻ります。 最初の二巻の単行本 ── 後にこの上巻が「第一部」、下巻が「第二部」という区分を与えられることになります ── のそれぞれのエピグラフはこうです。ともに辻邦生訳と思われます。 上巻は、
ロレンツォ・デ・メディチのこの詩句は非常に有名であるらしく、ヘルマン・ヘッセの『郷愁(ペーター・カーメンチント)』(高橋健二訳 新潮文庫)では、
── と引用されていました。 さて、下巻は、
『マクベス』です。
べつの訳では、
それで、いまの引用部分の最後ですが、
── というのが、『神聖喜劇』(大西巨人)のエピグラフですし、また、この「sound and fury」は、フォークナーの作品のタイトル『響きと怒り』ですね。 いやいや、『春の戴冠』の話をしているんでした。 第一部も、第二部も、それぞれ、そのエピグラフ通り ── まさにそのまま ── にフィレンツェという都市が語られることになります。つまり、花の盛りのフィレンツェが描かれながら、そのなかにあって、すでに没落の予感を抱きつつ詠まれるのが、「うるわしき若さも……」ですし、「明日が、その明日が……」の後には、没落が現実となってくるんです。 特に第二部の終盤では、語り手フェデリゴの娘アンナが「少年巡邏隊」の一員として彼の家にやって来ると、彼女の仲間がある酷いことをするんですけれど、その描写には、私は自分自身が切り裂かれるような気がしましたね(いまその部分を読み返してもそうなります)。それが ── というより、そうした一連の出来事の全体が ──「いつか時の終りに来てしまうのだ」なのか、とも思いました。そうして、それだからこそ、第一部のエピグラフが強烈に生きてくるのでもあるんです。 それでも、私はこういわなくてはなりません。先に私は、この作品と『ファウストゥス博士』とを並べてみましたけれど、逆に、『春の戴冠』の読者がマンのこの作品を読みもしないで想像することがあってはならないとも思っています。『ファウストゥス博士』ははるかに高度な作品です。 私はどういえばいいんでしょう? 『西行花伝』も、『フーシェ革命暦』をも、購入だけはしている私は、いずれ、これらを読むつもりでいるんです。私はほんとうに辻邦生には「世話になった」と思っているんですし、彼の亡くなったのを知ったときには大きい喪失感を抱きもしたんです(同様の感覚は、その後、カート・ヴォネガットの死を知らされたときにも抱きました)。繰り返しますが、彼の作品を読むことなしに、トーマス・マンその他の作品に手を伸ばすこともなかった・いまの自分の読書もなかったと思っているんです。しかし、私は彼の限界を口にせざるをえないのでもあるんです。たしかに私は辻作品の文章を読むことによって、かなりの安心感 ── まるで故郷に帰ったような ── を抱くことができるはずなんです。彼の文章は、ある種の読者に必ずそれをもたらすでしょう。しかし、そんな安心感は駄目なのではないか、とも、私は考えるんですね。困ったことに。 どれくらい以前のことか、私はあるひとが辻作品を侮蔑的に「女子大生の読みもの」と呼ぶのを聞いて、その意味を理解しましたし、また、車谷長吉がこう書いている意味もよく理解できました。
もっとも、車谷長吉が同じ本のなかで、自分が『赤目四十八瀧心中未遂』── この作品を私はよいと考えています ── で直木賞を受賞して、朝日新聞の「ひと」欄に載ったことについて、「朝日の「ひと」欄に私の名前が出るのは、生涯の夢だった。」などと書いているのを読んだ私は、まったく彼らしいことだと思いもしたんでした。つまり、世のなかに向かって、そういうつっかかりかたをするひとなんですね。そういうひとのいう「生活感」なわけです。朝日の「ひと」欄に自分の名前が出ることがなんですか。それはただそれだけのことです。車谷長吉は、ただ、自分が『赤目四十八瀧心中未遂』を書いた当人であることを誇りに思っていればよかったんです。彼にはこの誇りが欠けているのじゃないでしょうか。それじゃ駄目です。車谷流の世間への執着なんかどうでもいいんです。彼はそれを踏み越えて、もっと先へ進まなくちゃなりません。あるいは、彼はわざわざ「ひと」欄云々を書いたのかもしれません。そうだとして、それですら余計です。彼にはそんなことより他にすることがあるはずです。しかし、ここは彼の話をするところじゃなかったんでした。 ああだこうだといってきましたが、私は結局『春の戴冠』について、こういいます ── ぜひ読んでみてください。 ついでに ── 私は先にいった三度の通読時に、十一世紀スペインにおけるレコンキスタの英雄を描いた映画『エル・シド』(アンソニー・マン監督 主演はチャールトン・ヘストン 一九六一年)のサウンドトラック盤(ミクロス・ローザ ── 彼の仕事として最も有名なのは映画『ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー監督 主演はこれもチャールトン・ヘストン 一九五九年)の音楽なんですね ── の作曲・指揮です)をずっと聴いていたんです。それで、これは想像ですけれど、おそらく辻邦生も『エル・シド』を観ていたにちがいないと思うんです。観ていただけでなく、もしかすると、この映画音楽のレコードを持っていたのではないか、とまで思うんですね。『エル・シド』における騎馬試合の映像なしに、『春の戴冠』の騎馬試合はあのように描かれなかったというだけでなく、映画のつくり、それとともにあの音楽のつくりが、まさに『春の戴冠』のつくりなんですよ。ミクロス・ローザによるあの音楽の連なりと『春の戴冠』はあまりにも似ているんですね。 たとえば、「FIGHT FOR CALAHORRA」という曲 ── 映画では騎馬試合のはじめに流れる ── のある種の「祝祭性」が、『春の戴冠』のそれにぴったり照応するだろうと私は思うんです。この「祝祭性」ということばを私は高校生の時分で考えていただろうと思いますが、おそらく、それが辻邦生のよく用いていたことばなんですね。つまり、辻邦生によって、私の頭に「祝祭性」というものが刻まれ、ある位置を占めることになったわけです。 なおも、ローザの音楽をいえば、「OVERTURE」や「INTERMEZZO : EL CID MARCH」が『春の戴冠』全体の語りの基盤 ── フィレンツェの花の盛りは本来このようなものであった ── に照応するでしょう。「BATTLE FOR VALENCIA」は、ジロラモ・サヴォナローラとフィレンツェの対立に照応します。 そして、極めつけは、「FAREWELL」で、これこそが、『エル・シド』のつくりと『春の戴冠』のつくりとの一致を示すだろうと思うんですね。これは、ギターのイントロから、登場人物の個人的な思いと行動とを描写していき、それが最後になって、大きな歴史の渦に否応なく巻き込まれていく ── つまり、「OVERTURE」や「INTERMEZZO : EL CID MARCH」の旋律に巻き込まれていく ── というつくりなんですね。このつくりの原理が『春の戴冠』のみならず、辻邦生の諸作品(初期のものは除きます)の原理だと私は考えます。 そうして、「THE CID’S DEATH」を聴いてみてください。それから、終曲「THE LEGEND AND EPILOUGE」ですね。まるっきり『春の戴冠』です。 それで、映画『エル・シド』ですが、私はこれを高校生のときにテレビで観たんです。二週に分けての放送でした。土曜の午後にやっていたんです。前編を観ているときに、うちの ── その当時飼っていた犬が、鎖のはずれたために逃げ出したんですよ。それで ── 犬を追いかけなくてはならなかったために ── 、前編の途中からは観ることができなかったんですね。で、翌週、途中を知らないままに、後編を観たわけですけれど、それでも感動したんです。たしか、ラストのナレーションでは、「こうして、エル・シドは、歴史という名の門から、伝説のなかへと、駆けて行ったのである」とあって、それで、「THE LEGEND AND EPILOUGE」が流れるんでした。 ところが、後年、全編をヴィデオで観直してみて ── 飼い犬の逃亡によって見ることのできなかった部分までを観たわけです ──、私はいささかがっかりしましたっけ。わかってはいましたが、そこには、結局、主人公ロドリゴ・ディアス=エル・シドがどれだけ祖国スペインに忠誠を尽くしたか、ということの、なんというか、実直な描写(辻邦生の表現を借りれば、その「量塊」ですね)しかなかったんですね。
『春の戴冠』も、まさにそれなんです。フィレンツェの花の盛りと没落 ── ただそれだけなんですよ。それでいいといえば、そうなんですが、でも、私としてはある種の不満を抱えざるをえないんですね。 この世を人形劇の舞台になぞらえ、それをある種天真爛漫に上演しようとした辻邦生に、私は不満を表明せざるをえないんです。しかし、それでも私は、『春の戴冠』を少なくとも三度通読したんです。この、うまくいえませんが、愛憎半ばす、みたいな気持ちをどうしたらいいかわかりません。辻邦生が、とにかく、ある時期以降、そういう描きかたを選んだんですよ。そうして、彼は、その後、そのやりかたに賭けたんでしょう。『夏の砦』の制作時点では、まだ、そうではなかっただろうと思うんですが。 そんなふうで、『春の戴冠』以降、辻作品を読むことをやめてしまった私がしゃべってみました。 (二〇〇八年四月十六日)
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