(二)「ナゼナラ、オレハ自分ガソウイウコトヲスル人間ダト、 コレマデ思ッテミタコトモナイカラ!」 二十五歳(一九八八年)で、私は最初の ── 二年間勤めた ── 就職先を辞めたんでした。当時、私がしきりに読み返していた文章は次の通りです。ちょっと解説しておきますと、語り手は父親になったばかりの男 ── 以前にプルトニウム被曝を経験しています ── で、生まれた子供は脳に障害を抱えていたんでした。彼には、子供を処分したいのなら、してあげようという援助者までいるんですね。彼は、それで、どうしたものか、性風俗の店に足を運んでしまい、店の女性と性交します。わけがわかりませんか? ところが、そうしてみると、彼には自分に勇気の湧いていることが自覚されるんですね。
この文章に私がどれほど励まされたか、いくらいっても、いい尽くせないでしょう。なんという推進力が「ナゼナラ、オレハ自分ガソウイウコトヲスル人間ダト、コレマデ思ッテミタコトモナイカラ!」に秘められているでしょうか。いまでも私は感嘆するんです。そういう思考の道すじが非常に有効であると思っているんです。 しかし、なんといえばいいか、私はそれをかつて悪用したのじゃないか、と思うんですね。 むろん、結果的にあの会社を辞めたことはよかったと思っています。しかし、私はあまりにも身勝手だったろうと思うんです。私は「ナゼナラ、オレハ自分ガソウイウコトヲスル人間ダト、コレマデ思ッテミタコトモナイカラ!」を「親の意見を 聞くような奴は 道楽仲間の 面汚し」的意識で利用したのじゃないでしょうか。それを悪用したかどうかなんてことが、当時の私にはわかりようもなかったとは思いますけれど。 |