「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その七 1 今月発売の文春新書『なにもかも小林秀雄に教わった』(木田元)を私が購入したわけは、著者がキルケゴールとドストエフスキーについて書いているからなんですね。実はここしばらく、私はネット上で「木田元」・「キルケゴール」・「ドストエフスキー」の組み合わせで検索をしていたんです。数年前、あるいは十数年前に、岩波文庫の小冊子だったのじゃないかと思いますが ── 私はそれを持っていません ── 木田元がキルケゴールをドストエフスキーの「注解書」として読んだという内容の文章があったのを覚えていたからです。私は亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』批判のこの一連の文章で、何度もキルケゴールの『死に至る病』を引用することで論を進めてきました。これは、以前にもいいましたが、そもそも私が『死に至る病』を ── 金をもらって友人(ミッション系大学学生)のレポートを代筆するために ── 読んで大きい衝撃を受けた後にドストエフスキーの最後の長編小説群を読んだせいで、両者が分かちがたくなっているからなんです。ドストエフスキーを読んだとき、私は「あ、これはキルケゴールだ」と思ったんですね。だから、いまはうろ覚えの木田元の文章を読んだときには、彼が何をいっているのかすぐにわかりました。また、木下豊房は私の文章について「キルケゴールの「死に至る病」を引用して、イワンの「不幸な意識」の構造を説明しているのは、正しいし、国際的なドストエフスキー研究者の場で発表しても評価に耐えうる視点である」といってくれてもいます。 しかし、私はキルケゴールとドストエフスキーがいったいどういうつながりでこんなことになっているのか、わからずにいました。 この新刊で木田元はこう書いています。
つづく文章のしばらく後に、木田元はこう書きもしています。
私も同じように両者を読んできたと思います。それでも、私にはこの読みかたが特異だとは思われなかったんですね。むしろ、研究者の間でもごくふつうの読みかたなのじゃないかという認識でいたんです。どうもそうではないらしいですね。 しかし、トーマス・マンの『ファウストゥス博士』で、ニーチェをモデルにした主人公が悪魔と対話 ── もちろん『カラマーゾフの兄弟』を踏まえて、です ── する直前まで読んでいたのはキルケゴールの著作でもありました。もっとも、どうやらマンもこの作品の執筆時に初めてキルケゴールを読んだのらしいんですが。 2 さて、私はまだ『なにもかも小林秀雄に教わった』のごく一部しか読んでいませんが、一箇所誤りを見つけました。私の想像では、これは著者木田元の誤りではなく、編集者が誤り、校正者もそれに気づかなかったということでしょう(おそらくこの本は、大きい章立ておよび章題は著者自身、各章内の小見出しは編集者によるものだろうと私はにらんでいます)。私は、自分の勤める書店を担当している文芸春秋の営業に電話をして、これを告げました(十月二十一日)。今後、重版がかかれば訂正されると思います。 木田元による文章はこうです。
ところが、この文章の小見出しはこうなっています。
さかさまです。ぎょっとしましたよ。最初は、「またか!」と思ってしまいました。しかし、おそらく木田元は悪くありません。 なぜ私が「またか!」と思ったのかといえば、こうです。話は「集英社新書」に移ります。この件について私は集英社に連絡をしていません。 先日、私はまた怒りを通り越して、やりきれなくなったんですが、それというのも、私は自分の勤める書店で加賀乙彦の『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)をぱらぱらとめくっていて、こういう文章に行き当たったんですね。
この本は、加賀乙彦が朝日カルチャーセンターで行なった講義をもとに作られたらしいんです。悪いのは加賀乙彦なんですが、それより私が怒りを覚えたのは、この本の編集者に対してですよ。こんなひとが集英社で編集をやっているわけです。彼は、ただ「加賀乙彦先生」の原稿をありがたくいただいて、それをそのまま印刷に回しただけです。原稿内容はノーチェックです。加賀乙彦のでたらめは野放し状態です。ちょっと調べればわかることなんですよ。というか、そもそも、こんなこともわからない人間がこの本の編集者だというのがおかしい。いや、ドストエフスキーをまったく読んでいないひとがこの本の編集に携わるということもあるでしょう。しかし、それならそれで少しは勉強しないんですか? あるいは、著者と突っ込んだ対話をしないんですか? 編集者本人もちんぷんかんぷんなまま仕事をするんですか? 何も知らない読者は、へえ、ドストエフスキーはニーチェの影響を受けているのか、と信じてしまいます。そういうことへの想像力も、注意力もない。彼はただ加賀乙彦に「原稿ありがとうございます」といっただけです。 ドストエフスキー(一八二一 ─ 一八八一)の『罪と罰』(一八六六)、『悪霊』(一八七一)、『カラマーゾフの兄弟』(一八八〇)という年代的事実に対し、ニーチェ(一八四四 ─ 一九〇〇)のいわゆる「超人思想」がどのあたりからのものかというと、一八八〇年以降なんですよ。ニーチェはドストエフスキーを知っていましたが、逆はありません。 3 いったい、編集者の仕事というのは何なんでしょうか?
ここに名前の挙がっているひとたち ── 駒井稔と川端博を除いて ── は、これでいいんですか? 自分の協力した仕事がこんなものだったことに驚愕・仰天しないんですか? 亀山郁夫に抗議するなり、自分の名前の削除を要求したりしないんですか? また、「恥知らずの大馬鹿者」駒井稔はともかく、直接の編集担当者川端博は『カラマーゾフの兄弟』について「優に新書二冊分ぐらいの中身の濃い」話をしたって、いったいどんな話をしたんですか? 大審問官の話を聞いていたのは、やっぱりキリストの僭称者に違いありませんよねえ、なんてうなずいていたんですか? アリョーシャのキスは犯罪ですよねえ、なんて目から鱗が落ちる思いだったんですか? おかしいと思わなかったんですか? 訳者を誤ったという認識はなかったんですか? おかしいおかしいと思いながらも、駒井稔に「いいからやれ」といわれつづけていたんですか? そして亀山郁夫。「翻訳が、いかに社会的責任を伴うものだとはいえ」って、誰がそんなことを考えているんですか? あなたじゃありません。考えていたら、訳を引っ込めるしかないでしょう。まして『罪と罰』に手をつけたりなんかできません。 さらに十月十九日付け朝日新聞に掲載された光文社による全面広告 ── 亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』と『罪と罰』!
── なんですか、これは? そこに文章を寄せている佐野洋子、関川夏央、高橋源一郎、辻原登、沼野充義の五名にはまったく失望しました。なかでただひとり、高橋源一郎だけが直接に亀山訳に触れていないんですが、もし彼が亀山訳にこだわらずにただ「ドストエフスキーの読者」が増えさえすれば何でもいいと考えていたのであれば、五名中最も罪深いですね。 私は以前(初稿は二〇〇六年三月)にこう書きましたっけ。
── という具合で、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』をめぐっての出版・放送界に潜む問題も、実は確信犯的なものではなくて、単に業界人の低レヴェル化による当然の帰結なのかもしれない、と私は考えざるをえないわけです。 いま私が思い浮かべているのは、次の文章です。
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