「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六 5-(8) さて、「ある空漠たる恐怖に捕えられ」 ── です。 私はここで大西巨人の『神聖喜劇』から長い引用をします。その前にちょっとだけ説明(そしてまた引用)しておきますが、この作品の主人公=語り手である東堂太郎は、軍隊の初年兵教育のはじめに経験したある出来事において上級者に「なぜお前はこれをしなかったのか」と問われ、「知らなかったからだ」と答えるんですが、上級者はその返事を認めないんです。下級者は上級者に対して、「知らなかった」とか「教えられていない」などと返答してはならない。下級者のすべき返答は、ただ「忘れました」だけだ。責任は上級者でなく、下級者にある。なぜ「忘れました」と返事しないのか、というわけです。
そうして、右を踏まえて次の文章を読んでみてください。
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