「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六 5-(15)の2
さて、
まず、やれやれと思うのは、最先端=亀山郁夫がまたしても「ドストエフスキーはもともと悪文で、どのようにも翻訳できるのだ」なんてことをしゃべっていたということについてです。また、高村薫も高村薫で、そんなことをまともに聞いていたのか? と呆れます。そんなことがありうるなんて聞かされて、小説家 ── 当然小説を実際に書いているひとですよね ── としておかしいと思わなかったんですか? まあ、だから「驚いた」ということなんでしょうが。それにしても無邪気すぎる。 で、おそらく最先端=亀山郁夫はあわてて過去の自分の発言を取り繕うわけです。
これは本当ですか? 本当なら、最先端=亀山郁夫は『カラマーゾフの兄弟』のどの箇所とどの箇所とどの箇所と……がそうなのか、挙げてみるがいい。しかも、いちいちについてどうして「癲癇症状の末期と分かる」・「全然筆が走っていないのがわかる」のかも述べるがいい。高村薫も「ほう、それはたとえばどこですか?」と訊いてみればよかったのに。 ところで、奇妙なことに、最先端=亀山郁夫は、ドストエフスキーが「一文の中で同じ副詞を何度も用いる」ことについて「解題」ではこう書いていました。
まさか最先端=亀山郁夫は、自ら「勢いはすばらしい」と評しているこの文章が「癲癇症状の末期と分かる」・「全然筆が走っていないのがわかる」文章だっていうんじゃないですよね。 それに、
これも私にはわかりません。米川正夫訳を私は読んでいませんが、原卓也の訳文についていえば、それのどこが「ギスギス」しているのか、さっぱりわかりません。最先端=亀山郁夫は原卓也の訳文のどこか「ギスギス」しているのか、挙げてみるがいい。私には最先端=亀山郁夫が自分の新訳を正当化するために過去の訳者たちの仕事を慇懃無礼に貶めているとしか思えません。
最先端=亀山郁夫の手にかかっては、読者には何も ── 他の翻訳者たちの仕事からは見えてくるものが見えてくるかもしれませんけれども ── 見えませんて。「私が中学二年のときに読んだ『罪と罰』で残ったものは何かといえば、文体ではなく経験そのものだったんですね。ですから……」って、もう最悪ですね。いいですか、もうここまで私は口が酸っぱくなるくらい繰り返しているんですけれど、作品というものは「文体」がすべてですよ。つまり、読者にとっては、そこに「何が描かれているか」よりも「どう描かれているか」がすべて ── 「どう描かれているか」によって「何が描かれているか」が生きてくる ── なのだし、作者にとっては「何を描くか」よりも「どう描くか」がすべてなんですよ。それが「文体」です。「文体」とは「語り口調」 ── それは「文体」によって生じる表面的な結果にすぎません ── なんかじゃないんです。このことを理解できないひとに文学のわかるはずがない。だから、このことをわかっているはずの高村薫のこの発言を私はいったいどう理解したらいいんですかね?
── 最低ですね。もっとも、彼女が「昔から、文体こそが世界という読者だったようです」ということで、最先端=亀山郁夫の文体をひどいものだと認識したことを皮肉まじりにいったのなら、それは正しいんですけれど。しかし、そうじゃないんでしょう。高村薫、ひどいものだなあ。彼女の実作はともあれ、読書は最低ですね。いや、こんな読書のひとにどれだけの実作ができるんでしょうかねえ? 高村薫さん、反論があるなら、受けますよ。あなたがいまの発言を皮肉まじりにしたというのなら、全面的に謝りもしますよ。
もう、やれやれ、なんですが、「『カラマーゾフの兄弟』の訳文のモデルに『照柿』のスタイルを採用できないかな、と考えたこともありますが、この濃密さでは、読者はついてこられないと感じました」などと話す最先端=亀山郁夫は、訳文の「スタイル」=「文体」が翻訳者である自分の自由がきくものだ、何とでも変えられる、と思っていたんですね。私はいいますが、まず最先端=亀山郁夫ほどにも文章力のないひとにそんな「自由」はありません。そんなことより、翻訳者は原作に奉仕しなければならないひとなんですよ。真摯な翻訳者であるなら、原作が要請する「文体」でしか訳しようのあるはずがない。それを勝手にいじることができると考えた時点で、最先端=亀山郁夫の最先端ぶりが見事に発揮されたわけです。最悪です。こんな最先端に翻訳なんかさせちゃ駄目なんだよ、と私は思います。 さて、右のつづきはこうでした。
あのさあ ── もう私は我慢の限界です ──、 亀山郁夫さんよ、誰も、お前みたいな最先端=馬鹿=低能にそんなことをいわれたくないんだよ! お前こそ、「活字文化の将来」をめちゃくちゃにしている張本人じゃないか! 偉そうなことをいうんじゃないよ!「活字を通してのみ経験できる、果てしなく素晴らしい想像力の世界があること」を誰よりもわかっていないのはお前だろうが!「活字文化の将来を思うと、すごく暗澹とした気持ち」になるって? いい加減にしろ! お前は笑っているだけだろうが! そうして、「そこで諦めちゃいけない」のは、この俺だよ! 何でこの俺がこんなことに巻き込まれなきゃならないんだよ! お前のせいじゃないか! 好きでやってるとでも思うのか! 冗談じゃない! |