「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六 5-(20) 東京書籍とのやりとりはとんだ寄り道でした。思い出しましたが、私は「現代思想」四月号増刊「総特集=ドストエフスキー」における最先端=亀山郁夫訳「チーホンの庵室で」のひどさを指摘していたんでしたっけ。 しかし、もう少しだけ寄り道をしておきましょう。 まずは、NHKによる「ホリデー・インタビュー」(四月二十九日)ですね。この日はたまたま午前七時前にテレヴィをつけたんです。そうしたら、画面に最先端=亀山郁夫が映っているじゃないですか。うわ、なんという一日の始まりなんだ、と思いましたよ。最悪です。私がテレヴィ画面で最先端=亀山郁夫を見たのは、これが初めてでした。まあ、そんなことはいいんですが、とにかく、私はこの三十分番組のほんの終わりだけを観たわけです。
私が観た範囲でいえば、最先端=亀山郁夫は「五十歳を過ぎたら、それまではわからなかったドストエフスキーがわかるようになった」とかなんとか例によって例のごとくしゃべっていましたっけ。六十を過ぎた現在もまったく読めていないお前が何をいってるのか? で、聞き手の金井直己アナウンサー(たぶん五十代)が「私にも読めますかね?」てなことをいい、「読めますとも」と最先端。やれやれ。金井直己は知っておいた方がいいですね ── あなたの方が最先端=亀山郁夫なんかより断然深くドストエフスキーを読めるんですよ! むしろ、あなたの方がドストエフスキーについて最先端=亀山郁夫に講釈を垂れた方がいい! さて、次。 朝日新聞「ニッポン人脈記」(二〇一〇年五月二十日 夕刊)。
右の記事を書いた関根和弘に問いたい。最先端=亀山郁夫が「『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』の翻訳を手がける」ということは事実ですね。しかし、最先端=亀山郁夫の翻訳が「直訳調を、ひらがなの多い読みやすい表現にしてみせた」とあなたが書いた根拠は何ですか?「直訳調」とは、どの翻訳のどんな部分を指しているんですか? あなたが「ひらがなの多い読みやすい表現」と書くのは、ひらがなが多いことで読みやすくなったということなのか、ひらがなの多いことも手伝って読みやすい表現が実現したということなのか? あなたが最先端=亀山郁夫訳がそれまでの訳よりも「読みやすい」というのは、具体的にどういうことなのか? さらに問いたい。あなたはいったいどこまで「「誤訳だらけだ」との批判」を知っているのか? その批判をあなたはどう考えているのか、正当なのか不当なのか? また、それに対する最先端=亀山郁夫の「細かな文法的なものを超えて、自然に読めるテクストをつくりたかった」をあなたはどう考えているのか?いったい、最先端=亀山郁夫の「細かな文法的なものを超えて」が何を意味するのか、あなたには答えられるのか? また、「細かな文法的なものを超え」たために訳文がどういうものになってしまっているのか、あなたは答えられるのか?「自然に読めるテクスト」とはどういうものなのか? はっきりいいますが、あなたにはどれひとつ満足に回答することができません。そういう状態であなたは右の記事を書いたんです。あなたはただただ「亀山郁夫万歳」の記事を書いたんです。「誤訳だらけ」という批判に触れたことも、当の批判を無力化する・その批判の存在に触れることによってかえって亀山訳に箔がつくという意味合いでしたまでのことですね。いったい、あなたにはでたらめな提灯記事を書くことしかできないんですか? あなたにはあなた自身というものがないのか? またこれを引用しますか?
これが現在の朝日新聞です。いつまでも「え、何を?」といっていればいい。もうどうしようもない。 それでも、私は朝日新聞に投稿までしたんですね。「ゼロ年代の50冊」という企画記事で、あろうことか、そこに最先端=亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』が選出されていて、明日(二〇一〇年六月十三日)、これについての識者や一般読者の感想などが掲載されるんですが、そこに投稿したんです。 投稿するにあたって、私はこれまでの最先端=亀山郁夫批判全文(三十五字×二十八行×二段×三四六ページ)のプリントアウトをバインダーに綴じ、表紙に投稿原稿とコメントの紙を貼りつけて、「ゆうパック」(なぜか私は「ペリカン便」だと勘違いしていました)で送ったんですね。送料八百円。 原稿とコメントは次の通り。
(二〇一〇年六月十二日)
(追記)右まで書いて、二〇一〇年六月十三日午前三時前、私は郵便受けまで行ってきましたよ。朝日新聞の朝刊が届いていました。
やれやれ、またこれだ。 「「知もて解し得」ないロシアの不可知と、生涯をかけて格闘してきた研究者」って、いったい誰のことなんだ? もう最初からこれか! 東京都の森由美子さん(66)、千葉県の須田健太さん(18)、千葉県の石橋香織さん(39)、残念ながら、あなたがたは『カラマーゾフの兄弟』の偽物をつかまされました。ご愁傷様です。 作家の高山文彦さん、東京芸大准教授の布施英利さん、大馬鹿です。金輪際、誰かに読書案内などしないでください。 記事を書いた近藤康太郎は、もう記者を辞めろ!「京都府の萩原俊治さん・62」の「厳しい指摘」を一応引用はしながら、「指摘の正否はおくとして」とは何だ? どんなでたらめ訳でも、読者がこれまで手をつけてこなかったような本を手に取るきっかけになれば、それでいいなどと、卑劣なごまかしをやるようでは、話にならない。お前の責任を痛感しろよ! 何をやっているんだ! |