この三年半ほどの間に書いた文章の公開を始めます この次に公開する文章(昨二〇一三年十一月記)の冒頭はこうです。
そういうわけで、しばらくの間ネット上に ── 文庫本の字詰めで換算しておよそ六〇〇ページ分の ── 文章を連投することになります。 この三年半の間に私の考えていたことは、あらゆる読書 ── どんな読書であろうが ── に「勇気や信念」が必要である、ということでした。いまだに増えている最先端=亀山郁夫信者 ── いろいろ批判はあるみたいだけど、読みやすいから最先端=亀山郁夫訳がおすすめ、とか、最先端=亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』第五巻の「解題」は素晴らしい、とかいっているひとたち ── のすべての読書に「勇気や信念」がまったく欠けている、と私はいいます。そういうひとたちには「読書」というものが何であるのか、まるっきりわかっていません。読者である自分の「自由」とか「人間」というものがわかっていません。そればかりか、自分の「読書」を他人に伝えるということの意味もわかっていません。このひとたちは「自由」や「人間」を他人に売り渡してしまっているんですが、いま、私がいきなりこんなふうにいっても ── いや、どんなふうにいっても ── 通じないでしょう。「自由」やら「人間」やらはどうでもいいから、「パン」をくれ、ということですね。 それにしても、何だって私はいつまでもそんなひとたちのことを考えているんでしょう? 私がそんなひとたちのことをいつから考えているかというと、この最先端=亀山郁夫批判を始めるずっと前からです。 しかし、まあ、それはいいです。 さて、ここでメモのようにして、いくつか引用をしてみます。
いま、自分でもどうして右の引用をしたのか、はっきりとはわかっていません。しかし、これらは必ず私の最先端=亀山郁夫批判に関係しているはずなんです。 次の引用なら、わかりやすいと思います。
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